ーペンギンハウスで印象に残っている出来事ってありますか?

ジミー 日々が事件みたいな感じだったから(笑)特になにか引っ張り出して、っていうとなかなか難しいんだけど、僕がここの仕事を始める前はパンクってまったく接点がなくて、そんなに興味もなかったんだけど、僕が入ったばかりの頃は月に1、2回パンクのイベントがあって、ここがまったく別世界になっちゃうんですよ。お客さんも多いときは100人くらいいて、ラッシュの電車みたいにギュウギュウ詰めになって、しかも酒飲んで騒いで踊って、時にはステージに乱入したりとかね。演奏者も客に向かって平気で酒ぶっかけたりとか(笑)。なんだこの、ほとんど暴動のような状況は、って最初はただ、ただ呆れてたんだけど、でも、だんだん良さがわかってきたというか。以前はパンクって、上手いとか下手とか関係ないんだろうな、って勝手に思い込んでいたけど、実際は、うちに出てるパンクバンドはみんな上手かったし、お客さんを惹きつける魅力を強く持っていましたね。パンクをやっている人たち同士の強い絆とか、お互いを誇りに思う気持ちとか、パンクをやっている箱(ライブハウス)のことを彼らはすごく大切に思ってるっていうことが、だんだんわかってきたんですよね。すごく無茶苦茶にやってるように見えて、実はちゃんとした一種の規律みたいなものがある。そういうところが面白いな、って思ったんです。「ペンギンハウスはパンクの聖地です」って若い子が熱く語ってるのを聞いてビックリしたんだけど、この店をやらなかったら、きっと出会うことはなかった人たちと出会えて、しかも彼らのことを知ることができたのは、本当にやっててよかったな、と思うことのひとつですね。

ーあとで振り返ったときに、まず何を思い出すんでしょうね。

ジミー 僕はペンギンハウスのホームページを、できる限り半永久的に遺すつもりなので、自分でも昔書いた記事を見て、こんなことあったな、なんて思い出すんじゃないかな。

ーペンギンハウスにサイトに載せている動画はいつから録りだしたんですか?

ジミー 2016年くらいからだったかな。動画はずいぶん録りましたね。僕はペンギンには8年間いたけど、その間に亡くなっちゃった出演者が何名かいるんですよ。文章とか写真だけじゃなくて、その人が演奏してた動いている映像って大事だなあって思って。動画を録っていなかった時期に出ていた人で、そういうことを僕に感じさせてくれた人がいたんです。それが僕が動画を録りだした、一番大きなきっかけですね。

ー亜郎さんの動画もあるんですか?

ジミー けっこう残ってますよ。“生半可”って名前で、ずいぶん出演してたから。

ーペンギンハウスが予定とは違う終わり方をしてしまいましたが、それを決めたのはどのタイミングですか?

ジミー もともと5月末で終わるつもりでいたところに、新型コロナの騒動が始まっちゃって、結局3月末でクローズしちゃったんですよね。その後落ち着いてくれれば、ライブをやっても大丈夫そうな情勢になるなら、7月くらいにライブを再開したいと思っていたんだけど、そのあとも緊急事態宣言が出たりして。この前(取材日の2日前の6月16日)ようやく、ライブハウスも営業していいですよって話があったけど、「今日からOKです」って言われて「じゃあ始めます」っていうわけにはいかない。まず出演者を集めなきゃいけないし、最低でも1ヶ月くらい前からオファーしなきゃならないからね。OKですよって言われたときにはもう、タイムリミットを超えていた。おまけに営業再開にはソーシャルディスタンスが必要で、基準でいうと、ステージから客席まで2m以上開けなきゃいけない、客席も1mずつ開けなきゃいけない。ここだとお客さんが10人入ったら、もういっぱいじゃないか、って。消毒とか、感染防止の対策とかをたてながらやるとなると、今までのライブハウスのあり方って、もう通用しなくなるんじゃないかなって思って、結局このまま終えることに決めたのは、6月の末です。

ペンギンハウスの壁
壁にはモンスターロシモフのポスターが

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